霊園に着くなり、後部座席の夫はすぐにまるおを箱ごと抱いて車を降りた。
私は心の中で「ちょっと待って!」と叫んだけれど、声にはならなかった。
はっきり言って、何も出来ない状態だった。
今までも思っていたけど、料金やらシステムやらの説明を別室で
受ける時、まるおをそばに置いておいてはくれない。
その時点で、既に物凄く寂しくなった。
骨壺は陶器と桐箱のどちらにするか?と聞かれるので、桐箱にした。
足型のスタンプは無料だと言われたけど、まるおの足を汚したくは
ないので断った。思い出のグッズなども断った。
全部全部、夫ではなく私の意見だった。
後になって考えると、ああやっぱり…という事も無きにしも非ずですが
あの時はもう何も考えられない状態だったから仕方ない。
自分であって、自分じゃなかった。
「最後になでてあげて下さい」と言われ、その「最後」という言葉が
その響きが、悲しくて辛くてやり切れなかった。
何度も「ありがとね…」と声にならない声で呟き、いつものように
顔を近づけ、頬から耳元、首、背中…と撫でていく。
あっという間にその時間は終わり、まるおは台の上に乗せられる。
私はまた心の中で叫んでいた。
「私のコなのに!」 「なんで抱っこも出来ないの!?」
「なんでもう触っちゃいけないの!」 「連れて行かないで!」
この時もやはり、大好きなショパンのピアノ曲「別れの曲」が流れてた。
まるおもピアノが好きだったなぁ…と思いながら葬儀が終了した。
そして、火葬の準備…
まるおの為に用意したトルコキキョウをまるおの周りに置いた。
なるべく葉を当てないようにと言われたし、もうまるおには触れては
いけないと言われていたので お花だけをちぎって置こうとしたら
お坊さんが花束ごとまるおの腕に抱えさせてくれた。
「こうすると、可愛いでしょ?」と言われ、見ると本当にまるおが
嬉しそうに花束を抱えてるようにしか見えなくて、更に涙が出た。
そして、やっぱりお別れはやってきた…
何メートルか先で、左から右に向かってまるおを乗せた台を
お坊さんが動かしていく。右を下にして寝ているまるおの顔が
どんどん笑っているように見えた。そして、その姿が消えた。
「ママ、ありがとう。ボク、幸せだったよ。」と言われたような気がした。
私は「まるくん!まるくん!」と何度も叫んでいた。
それから50分だったか1時間後だったか忘れましたが
拾骨の時が来て、お坊さんが色々説明してくれました。
骨を見ると、色々わかるようです。
「このコは足が悪かったんですか?」と聞かれました。
もちろん最後の方は悪いという認識はありましたが、もう少し前から
悪かったのかも…というご指摘を受けました。
あれだけ頑張って最後まで「出し切った」と思っていた便も、少し
残っていたようで「これがそうです」と教えてもらった。
こちらが気付かないだけで、悪い所はいっぱいあったのかも、とか
最後は食べさせた分だけ辛い思いをさせたんだな、とか
今は反省しか出来ない。
そして、まるおの幸せを願う以外 考えられない。。。