まるおが亡くなって以後、掃除中に泣く事が一番多かった。
ベランダで洗濯物を干す時も、いつも気にして室内を見ていた当時を
思い出しては泣いていたけど、3ヶ月経った頃から少しずつ減っていった。
しかし、掃除の時間はそうはいかず いつまでも悲しかった。
掃除機に向かって威嚇していた小さい頃から 平気になった老年期まで
色んな場面を思い出すから。そして、各部屋に残る思い出の数々も
日替わりで容赦なく蘇ってくるから。
まるおの一周忌の前後は、日々の掃除を淡々とこなせるようになっていた
けれど、今日は違った。嫌いな掃除機を近づけても 毛布の上から
どかなくなったのは 脚が痛かったからかな? しんどかったのかも?
そう考えただけで「ごめんね」の涙が溢れる。
最後 病床に就く一年前くらいから、忙しい時に限ってまるおは「抱っこ」を
せがむようになっていた。私は左手でまるおを抱き、右手で床にワイパーを
掛ける事も多くなり「これじゃ仕事にならないでしょ〜」なんて言ってたけど
きっともっと構って欲しかったのよね…。
色んなサインを 見過ごしていた。
日々のよくある話なのだろうけど、逆の立場だったらやっぱり寂しかったに
違いない。だから今なお私がこんなに寂しいのは 致し方ないのです。。。
昨日の事だけど、まるおの夢を見た。まだ小さい「みゅう」という名の頃…。
起床時は覚えていたのに その後内容を完全に忘れ、思い出すどころか
夢を見た事自体も忘れそうなので、こうして記しておくことにしました。。。
↑ みゅうという名で呼ばれ、よく女の子と間違えられていた頃。
亡くなった子たちは夢にも出てきません。
私はそれが辛くて泣きました。
もう会えないんだから夢の中で会いたいって。
夢に出てきても私がすぐ忘れてしまっているのかもしれませんね。
それなら良いのですが・・・。
夢で会えた かがり。さんとまるおクン、とても羨ましい。
元々、私は 余りまるおの夢を見た事がありませんでした。
だから この一年の間で、3回くらい見たのは物凄い事なんですが
いずれもまるおとは意思の疎通が全く出来ませんでした。
上手く言えないのですが、見た目はまるおだけど 中身が違う…
そんな感じで、抜け殻のように感じました…。
姿形に固執するなかれ、ボクの魂はいつまでも永遠だから…
そういう意味なのかなと思いましたね。
そうは言っても、夢でも会いたい、それはとてもよくわかるし
私達が生きてる限り、これからもずっとそう思っちゃいますよね。。。