過去を行ったり来たり

 

まるおが亡くなって以後、掃除中に泣く事が一番多かった。
ベランダで洗濯物を干す時も、いつも気にして室内を見ていた当時を
思い出しては泣いていたけど、3ヶ月経った頃から少しずつ減っていった。

 

しかし、掃除の時間はそうはいかず いつまでも悲しかった。
掃除機に向かって威嚇していた小さい頃から 平気になった老年期まで
色んな場面を思い出すから。そして、各部屋に残る思い出の数々も
日替わりで容赦なく蘇ってくるから。

 

まるおの一周忌の前後は、日々の掃除を淡々とこなせるようになっていた
けれど、今日は違った。嫌いな掃除機を近づけても 毛布の上から
どかなくなったのは 脚が痛かったからかな? しんどかったのかも?
そう考えただけで「ごめんね」の涙が溢れる。

 

最後 病床に就く一年前くらいから、忙しい時に限ってまるおは「抱っこ」を
せがむようになっていた。私は左手でまるおを抱き、右手で床にワイパーを
掛ける事も多くなり「これじゃ仕事にならないでしょ〜」なんて言ってたけど
きっともっと構って欲しかったのよね…。

 

色んなサインを 見過ごしていた。
日々のよくある話なのだろうけど、逆の立場だったらやっぱり寂しかったに
違いない。だから今なお私がこんなに寂しいのは 致し方ないのです。。。

 

昨日の事だけど、まるおの夢を見た。まだ小さい「みゅう」という名の頃…。
起床時は覚えていたのに その後内容を完全に忘れ、思い出すどころか
夢を見た事自体も忘れそうなので、こうして記しておくことにしました。。。

 
 

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↑ みゅうという名で呼ばれ、よく女の子と間違えられていた頃。
 
 
 
 

こんな雨の日には

 

外は雨。久し振りに梅雨らしくなった。
少し肌寒いこんな日はいつも、まるおを膝の上に置いて
パソコンに向かう。それが日常だった。

 
 

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↑ いつもふたりで座ってた お気に入りの椅子の上で。

 
 

まるおが永眠してから一年が過ぎ、まだ涙は出るものの
私も随分落ち着いてきました。
一年前は 悲しみのどん底にいて、あの日々を思い出す事で
今は「これでも元気になったんだなぁ」と実感出来る。

 

たった一年、だけど一年、今までで一番長かった。
その分 これからは、時間はどんどん加速するだろう。
私も「先」を見て頑張ろう…
やっとそう思えるようになってきました。。。